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#01 社長・副社長座談会

50年の歴史を振り返り、
未来を創る所員の皆に、今伝えたいこと

  • 金峰 鐘大
    金峰 鐘大代表取締役社長
  • 阪井 惠一
    阪井 惠一代表取締役副社長
  • 大植 基義
    大植 基義代表取締役副社長

Question 1976年の創立当時のエピソードをお聞かせください。

金峰 鐘大
金峰 鐘大

創業者の竹田に初めて出会ったのは、創立の5年前、1971年なんです。当時在籍していた会社で竹田は30歳の若さにして設計部長をしていて、精悍な顔つきで、おしゃれで、「かっこいい人やなあ」と思いました。そこで5年ぐらい一緒に仕事をさせてもらい、1976年に竹田が独立する際に私に声をかけてくれた。なんで私を選んだかというのは、長い間一緒におりましたけど、一度も聞いたことがない。でもその出会いと巡り逢わせが竹田設計の運命を左右し、私の人生にも大きな影響を与えましたね。その後、阪井君(現・副社長)と、和田君(元・東京事務所所長。故人)にも声をかけて「4人でやろう」と。

阪井 惠一
阪井 惠一

竹田が35歳で金峰さんが27歳、私と和田君が23歳やったね、独立した時。

金峰 鐘大
金峰 鐘大

仕事のあてもなくスタートして、これまたほんまの偶然なんですけどね、とある信託銀行が、設計事務所を探している人がいると紹介してくれて行ったら、マンションの土地をすでに取得しているから「図面描いて持って来て」と。持って行ったら早速仕事が進み出したんです。第1号案件ですよ。ラッキーでしたね。その後も信託銀行からの紹介を通して、大阪や京都でマンションの仕事を次々と受注できました。

阪井 惠一
阪井 惠一

竹田はツイてる人でしたね。独立していきなり仕事が回ってきて。人間、運に恵まれるのはすごいことだという気は、いまだにしていますね。

大植 基義
大植 基義

竹田会長も金峰社長も阪井副社長もそうですけど、みんなで集まったら「一番大事なのは運や」って言う(笑)。

金峰 鐘大
金峰 鐘大

それはもう絶対変わらないんですよ。お付き合いする人との人間関係、出会いと巡り逢わせの積み重ねで会社がうまく行った。私たちの言う「運」とは、ご縁を大事に、人間関係を深める努力をしてきたからこその今日がある。今でもそう思っています。

阪井 惠一
阪井 惠一

人とのつながりを大事にするっていうのは、私らの強みで。そこから仕事がワーッといろんなところへ派生していったわけですからね。

大植 基義
大植 基義

新しく出会ったクライアントから、次、また次とお声がけいただけるのも昔から一緒です。

大阪エクセルホテル東急
(積水ハウス不動産関西 南御堂ビル)にて

Question そんな中、1980年に総合設計制度を初めて経験されます。

金峰 鐘大
金峰 鐘大

ハイネス上本町という作品なのですが、これまた不思議な運があるんですよ。ある時、信託銀行に行ったら「総合設計制度って知ってる? 容積が増えるんだよ」と言われて。全然知らなかったので大阪市へ調べに行ったら、取扱要綱という本をポンと渡されて。読んでも全然分からない。だから来る日も来る日も通ってたんです。そうしたら「あんたいつも一人で来てるな」と言って市の担当者が私に教えてくれたんですよ、斜線制限の緩和の簡略法とか実際の運用を。それで初めてやることができた。後で知ったのですが、その取扱要綱は発刊されたばかりで、ハイネス上本町が総合設計制度適用の民間第1号物件になったわけです。それが世間に広まってですね、IAO竹田設計に頼んだら容積が増えるということで、取り扱い件数がどんどん増えていきました。それに、民地内歩道に街路樹を植えることにも市役所に何度も掛け合って、大阪市で初めて実現して。結果、今日の歩道に緑が続く美しい街並みができたんです。

ハイネス上本町
大植 基義
大植 基義

昔から大阪は公共で緑を植えることがあんまりできなかったんですよ。だから民間の力を借りて総合設計で緑化と環境の向上に取り組んでいた。ハイネス上本町を皮切りに、大阪は首都圏と比べて一気に総合設計物件が増えたんですよ。

金峰 鐘大
金峰 鐘大

東京は、皇居とか明治神宮とかまとまった緑があるけれど、当時の大阪の緑地率は東京の2割ぐらいしか無かった。総合設計により街路樹をつくることで、大阪市の緑地率の増加にかなり寄与できたと思います。

Question 歴史を変え、街並みも変えたということですね。そして1989年には超高層プロジェクトに参画されますが。

金峰 鐘大
金峰 鐘大

総合設計で容積が増えるということはボリュームアップするということになるんで、「何とか超高層ができないかな、これやれたらまたトピックスやな」と機会を伺ってたんです。当時の事務所はとてもじゃないけど、そんな規模でも実力でもないんですけど。たまたま鶴見緑地近隣でまとまった敷地の案件を手掛けていて、最初は総合設計でやっていたのがもう少し容積が増えると超高層にできる。大阪市へ直談判しに行って特例で認めてもらいました。200%の容積率が323%まで伸びて。それで「超高層やろう!」ということになりました。それがカデンツァ・ザ・タワーです。ゼネコンではなく設計事務所が単独で指揮を執る超高層プロジェクトは当時ほとんど無かった。その後、超高層はバブル崩壊で一旦供給数が少なくなりますが、1995年の阪神・淡路大震災の後に復興のための集合住宅需要が増えることで、また超高層の建設が進んだ。我々は実績があるのでお声がけいただいて、それが今日につながっています。

カデンツァ・ザ・タワー

Question バブル崩壊やリーマン・ショックなどの社会の流れと、どう戦ってこられましたか。

金峰 鐘大
金峰 鐘大

まず辛かったのはバブル崩壊ですよね。昭和の終わりから1990年ぐらいに瞬間的な日本列島超バブルになってね。1991年の春に行政から不動産の総量規制の指導が入って、もう一気に沈んでしまって。そこから数年はほんま仕事無かったですね。当時、所員が70~80名おったんです。

阪井 惠一
阪井 惠一

ちなみにバブルの前はね、12名やったんです。それがバブルの最中は78名まで増えて。その後4~5年間は人数は増えてないんです、やっぱり。それだけね、大変だったんですよ。

大植 基義
大植 基義

私はバブル崩壊後の2001年に取締役になったんです。社会に仕事が無いわけだからなんとかしないといけないのですが、竹田会長、金峰社長、阪井副社長の考えで、所員を一人も辞めさせなかった。あの時リストラに踏み切っていたら、その後復活できなかった可能性もあるし、このターニングポイントでの判断は正しかったんだなって思います。

Question 2012年に社長のバトンが金峰さまへと引き継がれて、どのような変化がありましたか。

大植 基義
大植 基義

バブル崩壊とリーマン・ショックで、民間住宅の経済変動がどれだけ怖いかというのは分かったので、できるだけ非住宅を増やすということを、一番大きな方針として掲げられました。それは今も継続中です。

金峰 鐘大
金峰 鐘大

一方で、うちのベースはやっぱり住宅で育ってきた会社で。住宅は不動産の変動とか景気の変動に左右されるんですけど、人が住むところというのはずーっと需要はあるんですよ。時代の流れでマンション供給数は減少しているけれど、それでも我々に対しての発注数自体はあまり変わらなくて。だからやっぱり住宅をベースにやってきたのは良かったなと思うんです。こんなこと言うと口幅ったいですけど、住宅では質・量を含めて、うちは日本でもナンバーワンの設計事務所に属するんじゃないかという自負があるんです。ただし、やっぱり将来を見据えたら、非住宅をもっと増やそうということで皆さんに「やってくれ、頑張ってくれ!」とお願いしているところです。

阪井 惠一
阪井 惠一

仕事の感じも事務所の体制も、金峰社長になってから変わっていったんですよ。竹田というのは割と慎重派でしてね。金峰さんは前向きだからね、例えばある程度しんどい時でも、積極的に人を入れて体制をつくっていく。今活躍している幹部は、ちょうどバブル後期に入ってきた人たちです。また、経営的なことについても非常にオープンに、所員たちの中で話をしていますね。

Question 最後に、IAO竹田設計が未来に目指すべき姿や、所員の方々に伝えたいメッセージをお願いします。

阪井 惠一
阪井 惠一

創立当時から「日本で有数の事務所にしたい」という思いでずっとやってきたんですけど、振り返るとやっぱり大切なのは、「人とのつながりを大事にする」ということですね。そして、「信頼される設計事務所にならんといかん」ということ。建築っていうのは人が使うものなんでね、機能性もデザインも良くないとダメだし、コストを抑えた設計にもせないかん。そういうことを含めてクライアントに信頼されていくような事務所に今後もなっていってほしいと思います。世の中のニーズは変わっていくし、技術の革新にもついていかないと仕方がない。だけど原点として「信頼される設計事務所にならんとダメだ」という、それを引き継いでいってほしいですね。

大植 基義
大植 基義

私はいろんな物事が起きた時に、できるだけ「ただでは起きない」んですよね。何かで失敗しても「ではどうする?」と未来をイメージします。将来を担う人たちには、創立50周年を振り返るこの記念誌を見て、良いことだけではなく、困難に立ち向かった歴史をきちんと理解してほしいなと思います。もう一つは、自分自身も物をつくる立場として、質にすごくこだわっていて、東京の所員にも常に話しています。建築の質もそうですが、人の質も。質にこだわっていける人たちと一緒に仕事をしていきたいと思っています。また、クライアントとの関係性も大事です。何かトラブルが起きた時、お互い理解し合えていればうまく解決できます。出会いと巡り逢わせを大切に育んできた運で、昔から現在もお世話になっているクライアントが多いので、今後もそのご縁を大切にしていってほしいと思います。

金峰 鐘大
金峰 鐘大

創立から半世紀、今回50周年記念誌をつくるということで、今日という日を迎えて感無量なところがあります。創立からずっと建築家になるという目標よりも、必ずIAO竹田設計を立派な事務所にするという思いの方が強くやってきました。私は関西特有の浪花節的なところのある性格なんで、これから先は皆さんにその精神を引き継いでもらいながら、次世代のスマートさも加えて頑張ってほしいなと思います。100周年を迎える時もどっかから見てますから(笑)。

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